第4回 オンかオフか、それが問題だ~究極の遊び人ドルセー伯爵と蘇えったカジノ「50番地」~

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ロンドンの中心メイフェア地区には超高級ブランド店が並ぶ。老舗ホテル「リッツ」とそのカジノから徒歩3分、セント・ジェームス通り50番地に地上5階建ての会員制クラブが完成したのは1827年。カジノに高級レストランが同居する新しいコンセプトの遊技場は人気を呼び、ナポレオンをウォータルーの戦いで破ったウェリントン公爵らも常連に。看板はなく、単に「50番地」と呼ばれていた。

当代きっての遊び人、フランス人ドルセー伯爵(連載3号を参照)と、彼をパリから連れてきた英国貴族、ブレシンガム伯爵はそれぞれ近くの瀟洒な館に住んでいた。「娯楽王」と呼ばれたブレシンガム伯爵は、若いドルセー伯爵がロンドンの社交界にパリの粋なダンディーズムを持ち込んでくれる事を期待し、自分の15歳の娘を嫁に差し出して英国への移住を迫ったというから、相当な入れ込みようだ。二人はもちろん「50番地」に入り浸りだった。

ドルセー伯爵がこの結婚を承諾した裏には秘密が。ブレシンガム伯爵の二人目の妻であるマルゲリーテと彼は、3人でヨーロッパ旅行をして以来、愛人関係になっていたのだ。

ちゃっかり者のフレンチ・ダンディーは、まだ少女のブレシンガム伯爵令嬢と結婚して多額の持参金をもらい、その継母である若い伯爵夫人マルゲリーテともクラブの個室で密会を続けたそう。階下のカジノでは、何も知らぬブレシンガム伯爵が高額な賭けを楽しんでいた。「50番地」はしばらく繁盛したが、それから戦時政府に接収されたりオフィスビルになったりと変貌を遂げた。 


<「フィフティ」はメイフェアにそびえるフランス様式の建物>



<ドルセー伯爵の肖像>

そして時は21世紀に。

「プラネット・ハリウッド」ホテルチェーンや、ネバダ、ニュージャージーなどにカジノを持つアメリカ人起業家、ロバート・アールが50番地の威容ある建物とその歴史に注目した。そしてギャンブル規制緩和の見通しに乗じ、ここを「50 フィフティ」という娯楽の殿堂として蘇らせた。

「フィフティ」の機能は、賭け事だけではない「会員制社交場」という点において驚くほどそのオリジナルと似ている。会員ならレストランやダンスクラブだけを訪れる事もOK。オリジナル「50番地」では、ルイ王朝に仕えたコックを呼んだが、ここではNYやロンドンでトップクラスのシェフを起用。バーにもテレビでお馴染みの有名バーマンが君臨。すでにセレブリティがお忍びで訪れる場所として知られている。

オリジナルとの決定的な違いは、男性専用でも白人上流階級専用でもないこと。年会費約15万円(海外居住者なら10万円)も、審査基準も老舗ホテルに比べぐっと敷居が低い。そして、全くの初心者にも門戸を開いている。希望すれば手取り足取りプレーの仕方を丁寧に教えてくれる「セッション」を予約する事もできる。「カジノは一部の人だけを歓迎、という偏見をなくしたい」とオーナーは語る。



<200年近く前の雰囲気を取り入れたというプレイルーム>


<「フィフティ」のバーは、個室のように仕切られたテーブルが印象的>


ちなみに、ブレシンガム伯爵の死後、ドルセー伯爵は愛人の伯爵夫人とケンジントン宮殿そばの館(現在のロイヤル・アルバート・ホール)へ手を取り合ってお引越し。しかし、幸せすぎてあっという間に財産を使い果たしてしまった。借金取りに追われパリへ逃げ帰ると間もなく亡くなってしまった。遊び尽くした人生だった。彼が残したダンディーズムは生き続け、いまも粋な遊びに命を賭ける貴族や金持ちを、ロンドンの新旧カジノで見かける事ができる。
「フィフティ」
住所:50 St. James's Street, London, SW1A 1JT

ブラックジャック:6テーブル
カジノ・スタッド・ポーカー:1テーブル
パント・バンコ:3テーブル
ルーレット:9テーブル
ドレスコード:スマート、ジャケットは常に着用


<「50番地」のころ、この辺には貴族の邸宅が多かったが、いまは個人宅は皆無>