第6回 フランス周遊☆カジノバオリジナルツアー~古城巡りの巻 PART2~

vol.1 > vol.2 > vol.3 > vol.4 > vol.5 > vol.6 > vol.7 > vol.8

古城巡りの第二回です。引続きホラフーキがご紹介いたします。
今日はベルサイユ宮殿です!

午前中、シャンボール城の見学が終わりまして、ベルサイユの町に向かいました。
お城に入る前にお昼ご飯です。

宮殿の中でご飯食べたかったですが、なかなか予約できないとのことで、ベルサイユ宮殿のすぐそばの
レストランに入りましたー
ハンバーガー、ピザ類がいろいろあったので、それにしました。
まずはビールで乾杯ね。真夏とはいえ、フランスは気温20度くらいなんですが、ビールがとってもすっきりして美味しい!


ハンバーガー。中にソースがたっぷり。お肉も分厚い!ポテトも太い。とっても美味しかったです。


フランスではおなじみ。クローネンブルグ社の1664ビール。

1664年にこのブランドが出来たそうです。フランスでは、なが--く愛されている国民的ビールです。


たっぷりチーズの上にさらに別のチーズを乗せて。


お腹も一杯になったところで、いよいよベルサイユ宮殿に入ります。


ベルサイユ宮殿

宮殿の正面に来ました!お城の規模に圧倒されます。平日なのに、観光客もたくさんいます。
これぞ宮殿!! という風格を感じました。


宮殿の正面です。金色に光っている!
左右対称なのがわかります。右が男性のお部屋、左が女性のお部屋だそうです。


正面の一番奥です。金ぴかは枠に多く、赤いところはレンガ造りになってました。


宮殿右側の建屋。これ、絵だと思います。圧巻です。

ベルサイユ宮殿はルイ14世によって建造されました。
数々の豪華な部屋、そして庭園、噴水広場などえ、日本では想像のできない広大な土地が宮殿そのものです。
日本の迎賓館は、ベルサイユを参考にしてると言われてますので、プチベルサイユを味わいたい方は、迎賓館を訪ねてください。
ルイ14世は、1638年に生まれましたが、ルイ13世が41歳で死去し、なんと4歳で国王に君臨したそうです。
そして、72年間、国王を務めたフランス史上最長であり、最高の国王と言われてます。
(以降当日案内していただいたガイドの話)
ルイ14世は、頭がとても良くそして善人だったそうです。庶民の話をよく聞き、物事の決定も早く、
国民からとても愛された国王だそうです。
当初パリで国政を行っていましたが、パリでは政権、貴族の間で様々な混乱があり、
やがて深い森で狩りで利用していたベルサイユの地に宮殿を立てることにしたそうです。
24歳で建設を命じて、住める程度の第一次完成に20年かかったそうです。
(みなさん、詳細はウキペディアを読みましょう!)

有名な「鏡の間」というお部屋はあとから作られたそうです。
当時から宮殿には誰でも入ることができ、 国会や式典の始まる前に国王が必ず通る部屋「民衆の声を聞く間」にて
民衆が一斉に様々なお願いをしたそうです。
そして、国王もできる限りの対応をしたそうです。
このへんが人気になった理由でもあるそうです。
まずは、ルイ14世とベルサイユ宮殿完成までを第1話としましょう。
ちょっと飽きてきた人も辛抱して読んでくださいねー。

それでは、第2話にまいります。
ルイ14世は子宝に恵まれましたが、皆短命で、ルイ14世が死去されたとき、跡取りのルイ15世はなーんと、
14世の「ひ孫」にあたる人となりました。ルイ15世も5歳で即位したそうです。
そして、ルイ16世。この人もルイ15世のお孫さん。しかも3男。
当時は長男(跡取り(王太子))や兄弟がなぜか短命で、いろいろたいへんだったようです。(詳細省略)

そして、このルイ16世の奥様がオーストリア王朝から嫁がれたマリーアントワネット。
彼女は、姑(ルイ15世の王妃)とぶつかったり、食事、面会などベルサイユの様々なルールを簡素化したり
して宮殿内で反感を買う一方、貧困層にカンパを募ったり、良い母親だった面もあったそうです。
彼女はとても行動的で、別邸であるプチ・トリアノンの庭園を英国式に改造して農園を作り、
家畜を養ったり、劇団を作って劇場も作ったそうです。(ここは明日訪問しますので、そちらで詳細を説明します)

ルイ16世もアントワネットも全く悪い人ではなかったのですが、時代の混乱の中で悲惨な運命を歩みます。
このころのフランスは不景気で、国民の不満が爆発し、宮殿に押し寄せる事態となりました。
(1789年のフランス革命)
最初顔を出さなかったアントワネットもついに2階のベランダに顔を出すことになり、民衆が、「パンも食べれない」
不満をぶつけると、「パンが無いならブリオッシュを食べるように」と言ったらしく(本人の発言ではない説あり)
この言葉で一挙に民衆が宮殿になだれ込み、制圧したそうです。
ちなみに、「ブリオッシュ」は、当時貴族だけが食べていた上質なパンだそうで、
一般市民が食べているパンとは違うそうです。
なので、アントワネットも悪気があったわけではなく、
自分が食べているパンならあるのにと思ったそうです。
(日本語訳で、パンが無いならケーキを食べたら が有名ですね)

民衆が襲ってきたとき、彼女はプチ・トリアノンの洞窟に逃げたそうですが、つかまってしまったようですね。
ベルサイユは落城し、1793年、長い裁判の末、ルイ16世は1月21日、
マリーアントワネットは10月16日ともに37歳の若さでギロチン刑に処されました。
ルイ17世の話はもっと悲惨なので、省略しますね。
こうしてルイ家、ならびにベルサイユ宮殿の幕が下ろされます。

では、写真をどうぞ。


有名な鏡の間。ここに客人を招待したそうです。天井にはたくさんの絵が描かれてます。


明治時代に日本から送られた兜。鏡の間の天井近い側面に飾られてます。


マリーアントワネットが「パンが無いなら...」と発言したベランダ。女性なので、左側のベランダですね。


ルイ14世


貴婦人用(宮殿左側)の豪華な階段。フランス革命のときは民衆がこの階段を上がってきたそうです。


庭園側からの宮殿。木々がきれいにならんでますね。


こちらも庭園側からの宮殿。


宮殿から庭園を撮りました。噴水広場がいくつかあります。ずーっと先には池が見えます。
元々森だったことがよくわかります。


地図。手前が宮殿。噴水広場、庭園があり、右上がトリアノンです。

今日午後からではお城と、庭園とトリアノンの農園を見ましたが、全部見ることができず、明日、もう少し見ることにしました。

宿泊先は、ベルサイユ宮殿に隣接する、トリアノンパレスホテル です。
今回の旅行はホテルは全部上級クラスだと思います。このホテルも宮殿みたいなデザインで、とてもお洒落です。
お泊り先が良いホテルだと気持ちがいいもんですね。疲れもとれます。


ホテルの外観。ほんと、宮殿みたい。


エントランス。階段がお洒落ですね。


エントランスから伸びるリビングフロア。
朝食もこの先のレストランで。


夜のホテル。幻想的です。

ちなみに。
第3章,第4章でバルザックも紹介してましたが、
今まで、モンサンミッシェルとか戦車博物館とか古城めぐりとかで必ずコインを購入してきました。
各観光地を訪問した記念ですね。 このあとパリ観光や美術館めぐりでも、どんどん増えます。
コインは1枚2ユーロです。


記念コインの一部です。右上がシャンボール城です。

ホテルに泊まり、次の日、トリアノンの見ていないところを見ましたので、
昨日プチトリアノンのお庭と農場、そして本日訪問したグランドトリアノンをご紹介いたします。


プチトリアノン

トリアノンには、グラントリアノンとプチトリアノンがあります。(大トリアノンと小トリアノンという意味です)
ベルサイユ宮殿の庭園の北右側に位置し、ベルサイユ宮殿からは徒歩30分くらいです。
昨日の地図を参照ください。(宮殿の庭園がいかに広いかわかります)

プチトリアノンはルイ15世が奥様(ポンパドゥール夫人)のために建てましたが、ルイ16世の時代に
マリーアントワネットに与えられると、彼女は英国式の庭園に作り替え、そこに農村に見立てた小集落
「ル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌ」を作らせました。
彼女の思いの詰まったお庭ですね。一人静かに田園の風景を楽しんだそうです。
今も家畜(黒豚など)が飼われ、ワイン用のブドウが育てられてます。

彼女は劇団を作りました。そしてルイ16世はこのお庭に劇場を造ります。結構立派な劇場だそうです。
(劇場の中には入れませんでした...)
また、フランス革命が起きたとき、彼女は1人で逃げて、このお庭の奥にある洞窟に隠れたそうです。
しかし、見つかってしまい、のちに死刑になるんです。
洞窟で隠れていたときの彼女の気持ちを考えるとなんとも切ないですね。



プチトリアノンの建物。


庭園。青い空とのコントラストがまるで絵葉書のよう。

池の向こう正面の建物がアントワネットが休息に来ていた建物。とても雰囲気が良く、心が落ち着きます。


ベルサイユの豚もリラックス中。


そして、羊もダンス


そのアントワネットが休息していた建物。藁葺き屋根??


フランス革命の混乱の中、アントワネットが逃げた洞窟。右側から入りますが、とっても狭く暗いです。


アントワネット劇団の劇場。二階席があるそうです。この庭園の中にあります。


グラントリアノン

こちらはルイ14世がベルサイユ宮殿を作り出したあと、磁器の展示館として建てられました。
大理石とタイルをふんだんに使ったゴージャスな離宮です。
ルイ14世も宮殿から時々訪れて宿泊していったそうです。
後に、ルイ家が引き継いでいきますが、フランス革命後はナポレオンが所有し、彼の母君にお部屋を提供し、
ナポレオン自身は彼の二番目の妻であったマリア・ルイーザと共にトリアノンに住んだそうです。

ちなみに、ルイ16世に引き継いだ時期、マリーアントワネットはプチトリアノンを好んだので、


大トリアノンの中庭に面した柱廊。大理石の柱とタイルの床。すばらしい。


領主たちの控えの間。シャンデリアが豪華。


庭からみた宮殿。中央が柱廊。


コテルの回廊。ベルサイユ宮殿の鏡の間を思い出しました。絵が両側に飾られてますね。

これで、古城めぐりも終了となりました。
これからパリに移動します。

ここまで、ホラフーキがお伝えしました。
次回もお楽しみに。