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ミステリーツアー
旅館「海のやどり」で夕食の席につくまで、私は不安な気持ちを拭えずにいた。

午前八時三十分。いつもよりかなり早い集合時間だ。私は後ろから数えて三番目に到着した。前日は周到に準備をし、早めに就寝したつもりであったが、あろうことか二日目に着るシャツを用意していなかった。そのため生肌にパーカーを着た状態で一日過ごす羽目になるのだが、この時点ではそのような事態は微塵も考えていない。
ミステリーツアー。それがこの度の旅行の題目だった。私はミステリーツアーというものの概要こそ知ってはいたが、実際に参加するのは初めてだった。自然と期待が高まった。
往路では和気神社というこじんまりした神社と瀬戸大橋の資料館に立ち寄った。
和気神社は和気清麻呂という人物のゆかりの地らしい。入口につながる長い橋を渡った先には清麻呂の巨大な像が置かれていた。だが信心のない私にはあまりありがたさがわからなかった。
一方で瀬戸大橋の資料館は、配分された時間が短かったのが心残りではあったものの、内容はとても楽しめるものだった。無骨な建築機械や橋桁の模型には男心をくすぐられずにはいられない。一押しは橋桁の最下部にあたる土台に建てられたバラックのような小屋の模型だ。眼前スレスレに瀬戸内海、頭上には巨大な建築機械とそれらが躍動するむき出しの現場。そんな状態で粗末な小屋に寝泊まりする荒くれ作業員(全て想像の産物)を思い描くと心が躍った。
資料館には満足したものの、半日間の移動に対し、観光と呼べるイベントはこの二件だけであった。それもそのはず、大阪〜兵庫〜岡山〜香川という経路をバスで、それもときに一般道に降つつ半日で走破しようというのがこの旅行の筋書きだったのだから。しかしミステリーツアーである以上、その計画を私が知る由もない。ただただ眼前を流れてゆく車道がいつまでも続くのではないかという私の不安を乗せ、バスは走り続けた。

長時間バスに揺られた見返りがたったのこれだけではあまりにも寂しいのではないか。そんな私の心配は、宿についてすぐ、夕食の席で霧散されることとなる。
私たちの目の前に並んだ食事には、とにかく膨大な量の松茸が含まれていた。吸い物や釜飯には当然のこと、前菜の和え物や茶碗蒸しから、メインの天ぷら、大葉焼き、すき焼きに至るまで、ありとあらゆる料理に松茸が入っている。そしてその全てが、一本丸ごとを縦にスライスしたような形状であったり、質感のあるブロック状であったり、とにかく豪華な使い方をされているのだ。その味、そして満足感はまさに格別。加えて料理自体の量も食べきれないほどに多く、フグの刺身まである。私は遠路の疲れなど忘れ、豪華な晩餐を無我夢中で貪った。
私は思い出した。これはミステリーツアーではない。秋の松茸食べつくしミステリーツアーであったということを。この文字列の前半に置かれたあまりにも大きな意味を、深々と噛み締めずにはいられなかった。単に「うまいもの」というだけなら大阪にいればいくらでも食せる(のだろう)。だがこの料理はここでしか味わえず、そのためなら私は喜んで香川の地に推参する。なるほど、この料理のための旅路だと言われれば、万人が納得するであろう。私もその例に漏れない。
少食の私にとっては三日分ほどの量であったが、全て平らげてしまった。デザートはさすがに松茸ではなかった。
こうして一日目は至福のうちに幕を閉じた。

二日目の復路にて、松茸の衝撃と寝不足により夢見心地が尾を引く頭で私は考えた。
ツアー参加者は私たちを除くと年配の方ばかりだ。一見して旅慣れた様子で、余裕がある。恐らく西日本の有名な観光地は制覇してしまったような方々ばかりだ。ありきたりな観光スポットでは飽き足らず、かつ旅の高揚感を求めている。この旅は熟練の旅行者を対象とした企画であったのだ。私は己の浅はかな勘繰りを恥じずにはいられなかった。
【324】ymzk
投稿日時:2019年10月10日 09時47分03秒

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