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   オンかオフか、それが問題だ - 第三回 カジノの起源、および究極の遊び人ドルセー伯爵−その1  
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第三回 カジノの起源、および究極の遊び人ドルセー伯爵 ーその1

     

今回はちょっと歴史をさかのぼって話を始めよう。ロンドンにカジノの原型がお目見えした19世紀は、イギリスが7つの海を征服し世界一裕福な国だった頃。贅沢文化も花盛りで、貴族たちは「遊び」にそれは真剣に取り組んだ。この時分に社交界をリードしたのが、若くしてフランスからイギリスに移住したドルセー伯爵。ハンサムで知的、血統書付きの上にどうも両刀使いだったらしい彼は、たちまちロンドンのハイ・ソサエティーのアイドル的存在に。詩人バイロンや文豪ディキンズなどの文化人も、パリからドルセー伯爵がもちこんだブルジョワな「遊び方」にすっかり魅せられ、親交を求めたと言う。

そのパリでは、カフェやサロンの別室で、この絵のようににぎやかにバカラなどの賭け事が流行。それがロンドンに上陸する頃にはさらに、サークルと呼ばれる会員制サロンに発展しており、そこでは女性客は閉め出され、選ばれた男性だけが「酒、タバコ、賭け事」を純粋に楽しむことのできる場になっていた。

このサークルの別称が「カジノ」だったという。

パリの会員制サロンでは、高い地位にある上流階級の軍人が多かった。彼らが好む厳格な規律と、放蕩な遊び人を支えるボヘミアン精神という、まったく正反対の要素がどういうわけか結びついて、日本で言えば「粋」、英語の「ダンディーズム」が誕生したと言われる。男性が毎日2−3時間かけて一分の隙もないお洒落をするのは当然。煙草を吸っていい場所と時間も決まっていた。カジノでの遊び方から借金の仕方や返し方にまで、これぞ粋なマナーとされるものがたくさんあったらしい。「道」を極めるのが好きなのは日本人だけ、と思っていたら、そうではなかったのだ。

  ドルセー伯爵の生涯を綴った本「ラスト・オブ・ザ・ダンディーズ」、中央が伯爵。

<ドルセー伯爵の生涯を綴った本「ラスト・オブ・ザ・ダンディーズ」、
中央が伯爵。>

     
カード賭けで盛り上がる初期のカジノの絵

<カード賭けで盛り上がる初期のカジノの絵>

  メイフェア周辺の威厳ある建物はみな、築100-300年という古さ!

<メイフェア周辺の威厳ある建物はみな、築100-300年という古さ!>

     
ガス灯に照らし出されるパリの街はロンドンにカジノと言う夢を与えた?

<ガス灯に照らし出されるパリの街はロンドンにカジノと言う夢を与えた?>

 

そう、伝統の紳士道という下地のおかげで、ダンディーズムはイギリスにまったく抵抗なく溶け込んだ。そして、カジノも粋な娯楽としての地位を簡単に獲得。連載第2回でご紹介したカジノ「リッツ・クラブ」のように、紳士倶楽部の中に根付いていった。そこには、ドルセー伯爵の貢献もすくなからずある。彼のファッションはハイ・ソサエティの洗練された紳士のお手本にされ、彼がカジノでプレイをしていると、たくさんの男性が周りを取り巻き、いなせなマナーを学ぼうとしたそうだ。

この「リッツ・クラブ」のあるリッツ・ホテル一帯はメイフェアと呼ばれ、19世紀当時はヨーロッパで最もファッショナブルな住所だった。究極の遊び人ドルセー伯爵も虜にした新コンセプトのクラブが、1827年ここにオープン。それはなんと、21世紀に繋がっているのだ。この続きは次号で!

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